幅を広げる

興味の幅を広げたいと思うことがある。自分の知らないところにも、たくさんの素晴らしいものがあるはずで、それに触れる機会を逃してしまうのはもったいない。
その反面で、興味をどんどんと広げていくと、今度は、自分が何に興味を持っているのかがわからなくなってきてしまう。あれも、これも、となると、自分が一番興味を持っているところが、どうしても手薄になってしまう。

今は、どちらかというと、幅を狭めて、これまでに興味を持ってきたものをもう一度見直してみたいと思っている。人間関係も、多少狭くなり(色々なところに顔を出す時間と体力がない)一旦、狭いところに戻ってみようと思っている。
この数年、幅を広げるばかりであった反動が来ているのかもしれない。

保守化

このところ、考え方が急速に保守的になってきている。国粋主義者になったとかそういう意味ではない。
より安全を求めるようになったし、確実さを求めるようになった。
また、利害の対立があるということを十分に知り、誰にとってもよいものというのはないのだということがわかってきた。そのなかで、妥協点を探ることが大切なのだと感じるようになった。

何か大きな理念なり理想のようなものがあって、それを達成していくことが素晴らしいという考え方から、その理想や理念自体が、間違っているかもしれないという考え方に変化した。


政治的に言う「保守主義」というのは、こういうものなのだと理解している。人間が考える理念なり理想なりというのは、間違っているかもしれず、無理にそれを実現しようとすると、悲惨な結果を生むかもしれないという考え方だ。
それよりは、今の状態を少しずつ調整していき、少しでもよいものにしようとしていこうとする考え方である。

分からず屋のつまらない大人になったということなのかもしれない。それはそれで仕方がないことなのだろう。

二人暮らし

それほど遠くない時期に結婚することになって、二人での生活が始まっている。もう結構時間がたって、慣れてきたが、最初は大変だった。
なんせ、気ままな生活に慣れすぎていた。それも実家暮らしの楽な生活に慣れていた。
それぞれで気にするポイントが違うし、微妙に生活のリズムも合わない。
それを擦り合わせていくことが必要だった。

最初はハチャメチャだった自分の家事スキルも向上してきた。そのあたりから、うまく回るようになってきた。


楽しいことは多いし、二人で暮らしはじめてよかったと思うのだけれど、そのためにはそれぞれに努力が必要なのだなあ、と。

結婚するしないは、自由だし、しない生き方があってもいい。私も、そういう生き方を選ぶことになると思っていた。また、法律婚という形に縛られる必要もない。
ただ、他人と一緒に暮らしていくということは、けっこうな努力を必要とするし、そこから身につく能力のようなものは、案外大きいと思う。

一本目

久しぶりに、ブログ的なものに戻ってきた。
前に書いていたのは、自分にとっての不遇の時期だった。やり場のないような思いもあり、それを吐き出すように書いた。それ以外にも、色々と発信したいことがあった。その時々の心を慰めた音楽や小説のことを書いた。
いつしか、その時期を越えて、文章を書かなくなった。
以前のように、吐き出したいものもなくなった。音楽や小説は、今でも触れてはいるが、その当時ほどの強度で刺激されることは少ない。
忙しいこともあり、時間をとって、文章を書くこともなくなった。唯一続いている紙の日記も、二ヶ月に一回ほどしか書いていない。

このところ、自分の生活がかなり落ち着いてきた。忙しいのは忙しい。仕事は繁忙期に入ってしまったし、結婚式の準備もしなければならない。
ただ、気分的な部分で落ち着いた。
もう、自分はここに足をつけてやっていく。そのことをはっきりと認識した。目の前のことは、大変だけれど、ひとつひとつ片付ければいいという状態になった。

そういう生活の中で、少しずつ何かを書くという気力もわいてきた。続けることができたら、と思っている。